桂離宮

桂離宮にある七つの織部型石灯籠を中心にしたアルバムですが 「松琴亭」や「月波楼」など各所の画像もご覧いただけます。

右にある「参観順路」からは 外周から苑路に沿って順にご覧いただけます。
「桂離宮」略図 からは 地図上をクリックして各所をご覧いただけます。

キリシタン灯籠(切支丹灯籠)

「桂離宮には七つのキリシタン灯籠がある。」 そんな話を聞きました。

宮内庁京都事務所にお尋ねしてみると
「桂離宮には石灯籠が24 そのうち織部型は七つあります。」 とのこと。

昭和五十六年十月 財団法人有職文化協会発行の 「桂離宮」という写真集には 「キリシタン灯籠 LANTERN OF CATHOLICISM」 と書かれた写真が載っています。

キリシタン灯籠

離宮内に どうしてキリシタン灯籠があるのかしら・・・
不思議な気がして興味を持ち デジカメを持って捜しに行きました。

桂離宮とキリシタン

桂離宮とキリシタンとの関係については 二種類の話があります。

1. 桂離宮の造営には 八条宮智仁親王、智忠親王の父子二代が当たられましたが  智仁親王の妃であり智忠親王の母である常照院は キリシタン大名である宮津藩主 京極高知の息女であったこと。

智仁親王のご次男であり智忠親王の弟宮である方は 曼殊院のご門跡になられた 良尚法親王であり 曼殊院のお庭には母からの贈り物と言われる「キリシタン灯籠」があり  「クルス灯籠」又は「曼殊院灯籠」と呼ばれています。

京都 曼殊院 「キリシタン灯籠」

2. 八条宮家の家臣であり 智仁親王の片腕でもあった本郷織部が 1634年にキリシタンとして 処刑されたこと。

その七年後に 桂離宮に七つのキリシタン灯籠が立てられたとも 処刑されたのが 本郷織部の一族七人であったとも言われているようです。

七つのキリシタン灯籠

桂離宮の七つのキリシタン灯籠は 次のような順に見ることが出来ます。
「その2」が 写真集で「キリシタン灯籠 LANTERN OF CATHOLICISM」と解説されている灯籠です。

キリシタン灯籠その1 キリシタン灯籠その2 キリシタン灯籠その3 キリシタン灯籠その4 キリシタン灯籠その5 キリシタン灯籠その6 キリシタン灯籠その7
その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7

七つの内 竿石のふくらみ部分に文字らしき物が見えるのは 「その2」だけですが 「マリア像」らしきレリーフは 「その1」、「その2」、「その3」、「その7」に見えます。

七つ全てを「キリシタン灯籠」と呼べるのか 私には判断しかねますが 智仁親王、智忠親王父子は キリシタンについての知識をかなりお持ちだったのは確かなようで キリシタンとの関連性を意識して 桂離宮に置かれた可能性もあるような気もします。

一方 少なくとも江戸時代初期には 「織部灯籠」とキリシタンとの関連性については 一般には全く認識されていなかった ということも事実のようです。
そうでなければ 金地院崇伝が庭の中央に置くことを許す筈はないでしょう。

京都 南禅寺 金地院 「鶴亀の庭」

「織部灯籠」とキリシタンとの関連性について公に語られ始めたのは大正時代からのようですが  キリシタンの方たちがいつ頃から「織部灯籠」に「十字架」と「マリア像」を想い  心の拠り所になさっていたのか? 「織部灯籠」と「キリシタン灯籠」の境界は どの辺りなのか?

私には確かめようも無い疑問が残り 興味は一層ふくらみました。